決意

生きることに決めた。

呆気ないなと思う。だって、つい前夜まで、いやむしろつい今朝まで、いつとはまだ決めなくとも死ぬ気でいたのだから。

いや、言い方を整えれば、死ぬ気が消えたわけではない。ただ、今すぐ死ぬのをやめようという話である。

 

あの夏、約束したものを、また思っていていいと許可されて。

私は生きていようと決めた。

愚痴

どうしようもねえ。

いや、どうしようもないことをどうにかするためには、である。

死ぬか、悪などに走るほかないだろう?

小さい頃から、しょうもないことでひとりで激怒していたり、小さなことでひとりで号泣したりと確かに「めんどくさい子」であった。

自転車にちゃんと乗れたのは中学一年生のときだったし、勉強もそこそこ、部活など中学に関してはまるでダメだったりした。

小学生に上がってから今の今まで、嫌がらせを受けなかった年などないのだが、今思うと正しいのはあちらだった気がする。いや、あちらがただしいことにやっと気付き始めている。

ブスだとか、デブだとか、まあ誰でも言われたことのあるような言葉もずっと言われ続けたわけだが、歌に関してはひどかった。合唱コンなどで私が歌うと、皆で大笑いして侮蔑するのだ。他にも色々あるわけであるが、どれにせよ何せ幼少期から自我形成期までずっと言われ続けたので、自分はこうなのだ、そうなのだとわかってきていた。

だというのに、先生方は特に合唱に関して良く褒めるのだ。高校に上がってからは成績もよく褒められた。いや、しかし私はブスでデブでめんどくさい子で声も変なのだ、そして馬鹿なのだ。複雑になって仕方ないのではないかと思う。

最近の話をすると、「上手く話せないなら黙っとけよ」とか、「お前との間に友情を感じたことは無い」とかが印象深い。

前者は、私の場合「上手く話せない」というよりも人と対面する、また人に声をかけられる、会話をすることが恐怖ですらあるので、自分から声をかけただけ褒められたいところだった。

後者は何も言えない。ただとにかく悔しくて、イライラしたことは覚えている。いまこうして再び眠れなくなるくらいには、どちらも印象深く、私にとって「めんどくさ」かった。

夢に関してである。

最近は死ぬ夢をよく見る。夢占い的にどうなのかなどは知らないが、自分や知人が死ぬ夢を、とにかくよく見る。場所は近未来的であることが多い。何かに追われて死んでいく。

目が覚めて後悔するのだ。

なぜ死んでいないのだろうかと。なぜまた生きて目を覚ましたかと。話が転々としてしまうが、近頃はとにかく死ぬことばかりを考えている。

私は近いうちに死ななければならない。理由は無い、ただ私が私であるからだ。

死にたいが、死ななければならないのだ。

決行するならば2016.12.25になるわけなのだが、これがまた悩みどころであった。

その頃になれば、もう何も無い。その前日に人生の最もの楽しみが終わるし、その先の「約束」は果たされそうにない。死ぬ理由しかないのだ。

楽しいこともいいことも何一つとして思い当たらない最近である。なぜ今もこうしてブログなど書いて、生きながらえているのだろうか。ただ疑問に尽きる。

腹が立つ。生きていることに。

悔しくなる、私などもう忘れたろう10年付き合いの元友人に。

かなしくなる。世界の全てに。

ぼくは世界の何も許さない

愚痴

朝6:40過ぎくらいに身体が起きてきて、三時間前を思い出す。夏休みから久しぶりに、この前は5時まで、昨日も4時すぎまでは起きていた。

寝る気になれなかった、と言って違わない。

夏休みには私も「眠れなかった」のが、病院から処方された物を服用してなんとか眠れるようになった。しかし代償的に増える傷や服薬を相談して代わった薬では期待よりもはるかに眠れなかった。

それでも、寝ようとすれば眠気こそなくとも眠れるようになっていた。マイスリー服用で毎晩6時間は眠るようになり、身体が習慣づいたのだと思った。

軽い身体が煩わしかった。

身が楽になればなるほどそれだけでも許しがたく頭痛がした。眠れることが嫌になって、治らない不安定で腕を切った。

それから代わった、名前も覚えていない薬を試すと、ぼーっともしにくいがまるで眠れそうになどなかった。

そこから睡眠薬を飲むことをやめた。

来週の病院ではなんて言おう。誤魔化すのは簡単だ。

2時間も無い睡眠時間に冴えない頭と、重くて仕方のない身体が愛しくて、触り心地の良い毛布の中で着替えた。結局、行かねばならない。夏休みのようにはいかない、家を出る十分前にやっと起きた私にやっぱり不機嫌な母が弁当を作っている。

 

好意を感じたことが無い。

というのは、気がついてからずっと私に原因があるものだと思っていた。なんだかんだで、愛されているものなのだろう、実は好かれていたり、したのだろうと。が、違った。

彼らとは6年以上の中である。軽口を叩きながら色々と共に出かけたし、1人なんかは私の落ち込んだとき、時々声をかけてくれたくらいだ。感謝していたし、信じていた。

ついこの間言われたのは、「お前との間に友情は無い」である。もう無い、という意味ではなかった。ずっとだ。

被害者ヅラをするつもりはなかったが、さすがに腹に来た。

あれからずっと、思い出すたび腹が、胃が痛くてたまらないのだ。頭痛はいつの間にか消えていた。そして腹立たしかった。

けれども、信じていた。とは私の方も綺麗なのであった。信じていたつもりはあったが、今思うとそれも嘘だ。

人を疑ってしかかかったことがない。一人の部屋で、自分でない声の大きな笑い声を聞いた。

最近は、まるでいいことが無い。