愚痴

どうしようもねえ。

いや、どうしようもないことをどうにかするためには、である。

死ぬか、悪などに走るほかないだろう?

小さい頃から、しょうもないことでひとりで激怒していたり、小さなことでひとりで号泣したりと確かに「めんどくさい子」であった。

自転車にちゃんと乗れたのは中学一年生のときだったし、勉強もそこそこ、部活など中学に関してはまるでダメだったりした。

小学生に上がってから今の今まで、嫌がらせを受けなかった年などないのだが、今思うと正しいのはあちらだった気がする。いや、あちらがただしいことにやっと気付き始めている。

ブスだとか、デブだとか、まあ誰でも言われたことのあるような言葉もずっと言われ続けたわけだが、歌に関してはひどかった。合唱コンなどで私が歌うと、皆で大笑いして侮蔑するのだ。他にも色々あるわけであるが、どれにせよ何せ幼少期から自我形成期までずっと言われ続けたので、自分はこうなのだ、そうなのだとわかってきていた。

だというのに、先生方は特に合唱に関して良く褒めるのだ。高校に上がってからは成績もよく褒められた。いや、しかし私はブスでデブでめんどくさい子で声も変なのだ、そして馬鹿なのだ。複雑になって仕方ないのではないかと思う。

最近の話をすると、「上手く話せないなら黙っとけよ」とか、「お前との間に友情を感じたことは無い」とかが印象深い。

前者は、私の場合「上手く話せない」というよりも人と対面する、また人に声をかけられる、会話をすることが恐怖ですらあるので、自分から声をかけただけ褒められたいところだった。

後者は何も言えない。ただとにかく悔しくて、イライラしたことは覚えている。いまこうして再び眠れなくなるくらいには、どちらも印象深く、私にとって「めんどくさ」かった。

夢に関してである。

最近は死ぬ夢をよく見る。夢占い的にどうなのかなどは知らないが、自分や知人が死ぬ夢を、とにかくよく見る。場所は近未来的であることが多い。何かに追われて死んでいく。

目が覚めて後悔するのだ。

なぜ死んでいないのだろうかと。なぜまた生きて目を覚ましたかと。話が転々としてしまうが、近頃はとにかく死ぬことばかりを考えている。

私は近いうちに死ななければならない。理由は無い、ただ私が私であるからだ。

死にたいが、死ななければならないのだ。

決行するならば2016.12.25になるわけなのだが、これがまた悩みどころであった。

その頃になれば、もう何も無い。その前日に人生の最もの楽しみが終わるし、その先の「約束」は果たされそうにない。死ぬ理由しかないのだ。

楽しいこともいいことも何一つとして思い当たらない最近である。なぜ今もこうしてブログなど書いて、生きながらえているのだろうか。ただ疑問に尽きる。

腹が立つ。生きていることに。

悔しくなる、私などもう忘れたろう10年付き合いの元友人に。

かなしくなる。世界の全てに。

ぼくは世界の何も許さない